上関原発白紙撤回、
伊方原発廃炉を訴えピースサイクル
西瀬戸ピースサイクル(上関、伊方)呼びかけ人:新田秀樹・溝田一成
上関原発建設計画が1982年6月に上関議会で誘致表明してから、今年で40年になりました。これまで、多くの人の反対運動で上関原発を拒否し、埋め立てすらさせないで、計画地は工事が出来ずに、自然のまま残っています。地元上関町では一貫して上関原発に反対してきた「上関原発を建てさせない祝島島民の会」は、「原発反対!きれいな海を残そう!」と、漁業補償金を拒否して運動をしてきました。
ピースサイクルでは、『山口県内の瀬戸内沿岸の自治体に、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」からのメッセージを届け、要請申し入れを行い、沿道を自転車で訴えます。』ということと、最後に伊方集会に参加して、1週間の瀬戸海沿岸をアピールして走る西瀬戸ピースサイクルを行うことにしました。各地での参加者を含め50人余の方に参加してもらうことができました。
10月17日から山口県の東の和木町を出発し、岩国市―周防大島町―上関町(1日目)、(2日目)柳井市―平生町―田布施町―光市、(3日目)下松市―周南市―防府市、(4日目)山口県―山口市―中国電力山口支社―宇部市、(5日目)山陽小野田市―下関市の16自治体と中国電力に「上関原発の白紙撤回」を求める要請申入れをしました。町では副町長が対応してくれた所もあり、首長に繋がる秘書課の部長や総務課部長などが対応してくれて、参加者全員の意見を聞いてくれたりの市もありました。山口県は商政課電力対策班の担当者での相談室での対応の、冷たい受け取りになりました。2,3日目では、日常生活では杖がかかせない方が、サイクル車にのり坂道などもろともせず軽快に走ったり、山口県庁から下関市までは、400km40時間での耐久レースを走った経験の宇部の方に、道案内とペース配分をきちんとしてもらい、軽快な走りになる要請申入れを行いました。
光市の市長は、震災後の2012年議会で「原発反対」を表明しているのに、対応した行政の若い人は知っていなく、きちんと伝わっていなかった場面を見ることになりました。要請書の返答では、周南市が「2021年(平成23年)5月に、市議会で中国電力に対して上関原発建設中止の意見書」を表明し、山口県知事に提出して、今も生きているとの返事をもらいました。
最後の下関市では、市役所前で到着集会を行い、その後小倉駅での北九州の方々が行っている金曜スタンデイングアピールで報告し、5日間の山口県内の行動を終えました。
翌日6日目は、松山から愛媛県内の海岸線を、伊方に向けて「ふるさとは原発を許さない」などの音楽をかけながら、伊方原発を止めようとアピールしながら走りました。
最終日10月23日(日曜日)は、伊方町から原発ゲートまで伊方原発運転反対と訴えて走り、伊方集会に参加しました。集会は歌あり、各地からの参加者アピールでの熱気に包まれました。西瀬戸ピースサイクルも上関原発白紙撤回の自治体要請と祝島からのメッセージ「今日まで海を守り続けられたことは大きな希望です。40年間は分断と対立の日々であり、賛否により隣人の対話、親戚・親子・きょうだいの結びが引き裂かれた。3.11福島原発事故で安全性は崩れ去り、ウクライナ侵攻での原発攻撃、戦時下での原発の存在の危機、岸田首相の原発新増設発言で町内での原発建設の対立を懸念している。島民の会はこれからも一貫して原発のない未来を探っていきたい。」を、読み上げました。
最後に、四国電力に「伊方原発の運転停止、廃炉への要請」をし、祝島島民の会のメッセージを渡しました。集会の場所伊方原発ゲート前から、瀬戸内海の約40km西に浮かぶ祝島を望みながら、人類は核とは共存しないとの原発を、早く終わらせたいと強く思ったのでした。
(報告:溝田一成)
http://blog.livedoor.jp/genpatuha/
見てください。
写真
1.上関町への要請
2.山陽小野田市への要請後
3.伊予路を走る
4. 伊方原発集会
5.四電へ申入れ
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