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2024ピースサイクル

 

2021年8月19日木曜日

ピースサイクル女川

 8月16日の女川ピースサイクルの報告です。
沼倉、黒田(原発いらない福島の女たち)の両名は、この日
東京、郡山から新幹線に乗り込み、ピース隊と合流地点の
女川に向かいました。
東日本大震災時では、4千人の犠牲者を出した石巻からは
避難経路の海沿いの道をバスに乗りこみ30分、途中、カキの養殖地でもある
万石浦の入り江を経て12時には女川町に到着。

 女川は震災時には14.8mを超える津波に襲われ、町全体が壊滅的な被害を被ったところです。犠牲者827名は人口比で最大でしたが、現在は町全体が整備され、
住居はすべて高台に移転。
駅から海に向かって新たに整備されたショッピングモールにはモダンなつくりのお店が立ち並び、若い人や家族連れでにぎわっていました。

 昼時でもあり海産物のお店やラーメン店には行列ができるほどでしたので、
私たちは近くの女川町庁舎に向かいました。
庁舎建物は清潔感のあるデザインで図書館を併設した広いスペースで、職員数も結構な数でしたが、私たちは震災時の記録と女川原発の記録をみたかっったので探し回りましたが、見つからず、案内係に尋ね、やっとのことで部屋の奥のロッカーから少し厚めの冊子を頂くことになりました。
聞けばこの一冊で在庫切れだそうです。
街中いきいき館でも震災の記録は目につく所にはなく、タッチパネルの中に収録されていました。
 女川を訪れる人の目から震災や原発のことを隠そうとする復興のあり方が
果たして住民の将来にどんな影響を及ぼすか疑問です。
交流会でお世話になった阿部美紀子町議会議員も1万8千人から震災時の1万人を経て、現在6千人(3千世帯)となった人口減を問題にしていました。

 3時の集合時間には、みやぎ脱原発風の会の須田さん、石巻の日野さん、木村さんが来てくれ、ピース隊を待ち受けましたが、道に迷ったか、1時間遅れの走行で、私たちはピース隊を待たずに、15キロ先の女川原子力発電所に車で向かうことになりました。

 途中いたるところで道路の建設と拡張工事が行われおり、高台に住居は移転され、集落には人影はなく、小さな漁船が数隻浮かんでいるだけでした。
ほどなく原発に到着。ここには大きな鉄格子の門があり、さらに300m先が入り口となり、5分も経たないうちに警備員が駆け付け、私有地での写真撮影は禁止だと威圧的な対応で接してきました。
 私たちはいったん引き返し、途中の道路脇の反対同盟の立て看板の前で旗を広げ撮影。近くの小屋取浜から発電所の全景を視察することになりました。
小屋取の浜は「鳴り砂」といって靴を滑らすとキュッキュッと鳴く黄色みを帯びた珍しいきれいな砂浜です。

 その対岸に廃炉作業が行われている1号機、23年度中の再稼働にむけ工事中の2号機、プルサーマル発電仕様ですが停止中の3号機が完成時29mの防潮堤の奥に見ることができました。
防潮堤の地盤は沖縄の辺野古の海と同様に29mの防潮堤を津波から支えるにはあまりにも軟弱であることが分かり、現在地盤改良工事を多額の費用をかけ行っています。写真でも3基の大型クレーンが稼働しているのが分かります。
 私たちは、17時から予定している地元の方との交流会に向け、
ひとまず小屋取浜を後にしました。(続く―報告沼倉) 
写真1は女川駅前モニュメント題は「考えない人」

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