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2025ピースサイクル

 

2025年8月18日月曜日

 玄海・長崎2025ピースサイクル報告 №1

8月6日から9日の4日間で、玄海~長崎ピースサイクルを開催しました。事故もなく無事に開催することが出来ました。ご参加頂いた皆様には大変感謝いたします。

8月6日唐津にて地元で原発反対を闘う仲間と交流

8月6日、玄海~長崎ピース参加者3名(神奈川、大阪)の仲間は、玄海原発反対からつ事務所に18時頃到着し、地元で原発反対を闘う仲間と合流し、交流を行いました。交流では、玄海原発や玄海町が核のゴミ保管施設建設の文献調査を受け入れたことなどで、地元の活動状況などを聞き明日の申入れ対策の準備をし、クーラーの効いた部屋で早めに就寝しました。

8月7日玄海原子力発電所申し入れ

8月7日は、自転車隊は朝7時30分出発し玄海原発に向けて出発しました。この日は雨予想ではあったが、雨の合間を縫って 玄海原発と玄海村を訪れ、申入れを行いました。午前9時から、ピース隊と地元の参加者2名で玄海原発に対して、地震や事故で過酷事故を起こす前にすべての原発の稼働を止めるよう申し入れ、書面を手交しました。担当者からは、上司に報告すると述べ、でそれ以上の答弁はありませんでした。

終了後、玄海町に移動し10時からは、日々危険と隣り合わせで、不安を抱えながら暮らしてきた原発立地住民に、今度は核のゴミの負担まで押し付けるのは余りにも理不尽と、文献調査受け入れの再考を要請し、また意見交換を行いました

しかし、担当者からは、住民を放射能被害から守ろうとする強い気概は感じ取れなかったのが残念でしたが、ピースとしての2度目の要請としては十分に評価できるものと考えます。玄海町の要請行動を終え、伊万里の道の駅へ向かいました。午後12時に長崎から来たピース隊と合流、昼食後佐世保に向かって出発し17時ころ到着しました。

玄海原発に申入れ書を手交中


玄海町での要請と意見交流


佐世保―向かって走る

 玄海・長崎2025ピースサイクル報告 №2

8月8日長崎平和集会

8月8日 天気予報は曇雨で降雨確立50%だったが出発の7時30分頃は曇り。曇り空の中を出発し、長崎を目指す。予定の16時ころには到着しました。途中豪雨が2回、パンク1回がありました。それでも予定通りとは企画が素晴らしい。長崎中央郵便局到着後一度宿舎に向かい、身支度をして8・8平和を考える長崎集会の会場に向かいました。

18時から始まった平和集会では、山田実行委員があいさつに立ち、敗戦80年戦後世代が多くを占めるようになっている。戦争を伝える世代が少なくなって如何に伝えていくか課題となっている。またロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナ戦争のように世界が不安定になっているが、反戦平和の声を上げていこうと挨拶。

来賓として、渡邉全労協議長、日巻郵政ユニオン中央本部委員長があいさつに立ちました。その後、荒木講師の講演に入り、「核兵器は遺伝子を標的とする非人道的兵器!」をテーマで約1時間話され、非人道兵器と言われる理由について解説がありました。 その後、各地・各団体からの取り組み報告として、ピースサイクルからは、この4日間の取り組みを報告しました。集会は8時30分に終了その後交流会に移りました。

8月9日長崎市への平和のメッセージを届ける

8月9日 朝6時の長崎は豪雨でした。警戒警報にはならなかったのだが、ものすごい雨で、各集会や11時2分からの犠牲者の黙祷行事の開催が危ぶまれたが、運よく黙祷の時間は雨がやみ行事は開催されました。

また、ピースサイクルは、9時から長崎平和資料館館長(代理)に面会し、全国から集まった長崎市への平和のメッセージを届けました。

11時2分の黙祷終了後は、昼食交流会を行い来年の再会を期して帰路につきました。  参加者の皆様大変お疲れ様でした。 〈報告報告:神奈川佐藤〉

8日 山陽館を出発の有志

玄海~長崎ピースを報告する久保さん

・長崎市へのメッセージ手交

ピ-スサイクル2025愛知の報告

726 陸自豊川駐屯地への申し入れ

岡崎実行委員会が、陸自豊川駐屯地への申し入れを行った。ここは例年浜松ピースサイクルと共同での申し入れであったが、今年は事情があって、愛知単独の申しれとなった。

727日 日進市で愛知交流会、県庁まで実走

この日は午後から日進市・市民の会主催の昼食を共にした「愛知の交流会」が開かれた。

 岡崎、豊田、日進、名古屋から約25人、この会を用意してくれた市民の会の代表から、歓迎のあいさつがあり、参加者一人一人が自己紹介とそれぞれ地区での活動などの報告を出し合った。

 私からは、この運動は40年目、愛知は37年目を迎え、一つの区切りに差しかかった。11月の全国会議でこれからについて話し合われるが、これでおしまいということにはならない。首都圏中心の「六ケ所ピースサイクル」「六ケ所ピースサイクル」について話した。

交流会の後、日進市民の会主催の「平和のつどい」に参加した。2024年のノーベル賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)関連、「はだしのゲン」の展示もあった。

午後3時過ぎ、外気温36度の猛暑の中、小型ののぼりを着装した自転車隊4人と街宣車が、20㎞余の愛知県庁を目指して出発していった。

728(月)名古屋の取り組み

午前9時、走者5人と、街宣車に運転手、街宣に4人が参加して、名古屋市と愛知県への申し入れ、その回答の受け取りがそれぞれの庁舎前で行われた。

それぞれには事前に申し入れ文書が送ってあり、今日はその回答書の受け取りであった。最初に名古屋の代表から改めて申し入れ内容が読み上げられ手わたされた。愛知県からは回答書が出されたが、名古屋市は、項目別に各部局に回して対応中であり、まとまり次第回答文書を送るとのことであった。

 午前10時、黄色地に「なくそう!原発  ピースサイクル」の小型の幟を装着した5人のサイクリストが、約13km先の空自小牧基地に向かった。街宣車がそれをサポート、反戦・反核・平和を訴えるピースサイクルの運動を広めた。

小牧基地では文書回答は出なかったもの、去る514日、小牧基地から離陸した航空自衛隊のT4練習機が犬山市の入鹿池に墜落した事故について、謝罪と再発防止策に努める、その他の申し入れついては、上からの指示の基づくもので答える立場にない、と口頭であった。

この日も36度の猛暑であったが、全員無事に完走し正午前には解散し、それぞれ帰路についた。阪野智夫記