速報 ピースサイクル2023愛知
猛暑の三日間 静岡~愛知~岐阜 平和のリレー 広島へ
ピースサイクル2023愛知は、7月26日~28日にかけて取り組まれ、猛暑の中ではありましたが、無事岐阜にリレーすることができました。自転車で走った人サポートした人、地域で迎い入れ、送り出してくれた人、街宣車を運転した人、マイクでピースイクル運動、平和、脱原発、反戦を訴えた人、みなさん、お疲れさま、でした。
詳細は、11月の全国総括会議に向けた「愛知からの報告集」でまとめられますが、主な経過を速報としてお知らせします。
7月26日(水) 豊橋~陸自豊川駐屯地~岡崎を走る
今年もピースサイクル全国運動2023の一つ、東海道筋から中国道筋を走る、東京発8月5日夕方広島着の自転車リレー、その静岡・浜松から愛知へ。豊橋で担当の岡崎実行委員会がリレーを受けて愛知の実走が始まった。
例年のごとく、豊橋公園で浜松チームと合流してリレーを受け、午後1時に自転車隊4人、サポート3人、車2台で出発し、2時10分頃から陸自豊川駐屯地での申し入れを合同で行い、その後浜松チームは帰路についた。
自転車3人、サポート一人の岡崎チームは、国道1号線と並行する旧東海道の御油の松並木・赤坂宿のルートで岡崎に向かって走り続け、午後5時前にはこの日の実走を終えた。
かつては、こうした実走、申し入れに加え、旧豊川海軍工廠の記念館「桜ヶ丘ミュージアム」の見学、その海軍工廠が米軍・B29の空襲(1945年8月7日)を受け壊滅し、2700人余と言われるほど多数の死者を出したが、豊川稲荷神社近くのその慰霊碑のある場所を訪問し慰霊、もう一つは、「豊川海軍工廠平和公園」というのもあり、そこは旧第一火薬庫のあった場所なのだが、見学したこともあった。
ちなみに、豊橋から西に向けて空自小牧基地で岐阜にリレーするルートは、現在の岡崎から豊田市、日進市経由の「北ルート」一つだけではなく、「南ルート」では、蒲郡市、安城市、刈谷市(境川流域下水道反対運動)、旧米軍依佐美送信所、名古屋市(三菱重工・大江工場)を経由したルートもあった。
それらは、炎天下で汗をかいてひたすら走るだけでなく、普段訪れることのない反戦・平和に関連した場所へ、サイクリングの楽しさも加味されて走ったのだった。
多分全国各地のピースサイクルも同じような内容が加味されているのではないだろうか。こうして、ピースサイクルは「反戦・反核・平和・人権」を掲げ、自治体、基地、原発関連での申し入れと戦跡の訪問見学、地域運動との交流を進めているのである。新しい若い人の参加を望みたい。
7月27日(木) 岡崎~豊田~日進~名古屋を走る
今日も連日の猛暑の続き。とりわけ豊田市周辺は、今夏はしばしば県内最高気温が伝えられていたから、今日も実走者は大変だったであろう。実走チームは昨日の岡崎チーム3人に豊田から日進までは、女性一人が加わり先頭で道案内をした。彼女は単身で、広島まで自転車で走った経験を持つ。
この日、岡崎を8時には出発して矢作川を遡上するようにして国道、堤防道路を使って豊田市に向かい、10時頃から豊田市民の会と共に豊田市に申し入れの回答と質疑を交わして豊田を出発、予定をやや遅れて日進市に到着した。
日進市では、日進市民の会の主催する交流会そしていつも華やかでおいしい昼食会、その後、市の担当課長から歓迎のあいさつと事前申し入れの回答及び広島、長崎両市長宛の、近藤市長からのメッセージを受け取った。
交流会では「次期課題としてこの炎天下を自転車で走ることへの本人の心配、ご家族の心配などから次年度の方法を検討する必要あり。他の方法も加え、ピースサイクル愛知の新しいやり方も付け加えてはどうか。例えば、折り鶴をピース愛知の名前でも広島に届ける。丹羽さんが取りまとめているので次年度からなら送るときにピース愛知の名前のものも送ることはできるなど、高齢化対策も。などの意見が出た。
予定では、散会後日進図書館での「平和の集い」の見学とあったが、時間が経過していたので3時前には名古屋チームは、中電本店に向かって出発した。ここからはサポートを兼ねて街宣車が同行した。
自転車の一行は4人で出発し、途中で一人は都合で抜けたが、これまでの天白川の堤防道路と違って、歩道のない県道を平針まで出て、そこら西進して植田西、八事経由、旧飯田街道をたどって午後4時過ぎに中電本社に到着。
今年から中電側の担当者が代わったが、ピースサイクルからは6人が参加し、「リニア開業に伴う、浜岡原発の再稼働の可能性を問う」「東電の汚染水海洋放出について中電の見解を問う」、政府の「原発回帰」が顕著であるが、「原発に代わる再生可能エネルギーの拡大に注力すべきと思うが、見解を問う」という内容の申し入れを行い、回答を受け、質疑を行った。5時過ぎに明日の予定を確認して解散した。
7月28日(金)名古屋~空自小牧基地、ここで岐阜にリレー
ピースサイクル愛知の最終日は、午前8時30分から名古屋市への申し入れから始まった。
名古屋実行委員会から10人、市側から2名が市庁舎前で向き合い、名古屋の代表が「名古屋市への要請と要望」を記した申し入れ書を読み上げて手渡した。
その内容の一部は、河村市長が前言を翻した「徳山ダム導水路」計画について、また「リニア新幹線」について、が市政に関してのもの。次に、「日米地位協定」の抜本的見直しについて、愛知県下でも扶桑町議会、岩倉市議会が採択した例があるが、中部の中心都市・名古屋市としての見解を問う。もう一つは、これも国政に関する課題「原発」についてであるが、名古屋市として「再生可能エネルギー」政策の推進に寄与すべきではないか、と見解を問うた。
以上の申し入れと共に、広島市長、長崎市長、沖縄県知事宛メッセージの発出を要請した。
次に、隣接する愛知県庁に向かった。ここでも県側は2人、ピースサイクル側11人が参加した。
大村秀章知事あての「要請と要望」の内容は、「愛知県の平和行政」について。知事がリニア新幹線推進期成同盟会の会長を務めているが、その内容について、を3点に亘って県の姿勢を問うた。次に、名古屋市と同様の「日米地位協定」の抜本的見直し、「原発」について、県として見解を求めた。名古屋市と同様に、広島市長、長崎市長、沖縄県知事宛メッセージの発出を要請した。
午前9時40分頃、自転車6台、街宣車にサポーター3人、炎天下の中を元気に小牧基地に向かって走り出した。
県庁を出発した一行は、国道41号線に出て北上、途中から県道102号にのり、名鉄小牧線に沿う形でさらに北上して豊山町(イチローの出身地)と接する春日井市を抜け、空自小牧基地へ。この間は約13㎞、1時間余の道のりであった。
小牧基地では、岐阜ピースサイクルのメンバーと合流、渡部 琢也基地司令宛ての申し入れ書が読み上げられた。
その内容は、沖縄でのヘリ墜落で10名の殉職、岐阜での自衛官殺傷事件で3人の死傷者ついて取り上げ、哀悼の意を表し、併せて政府の集団的自衛権行使の容認、南西諸島への軍備の拡張など、それは自衛官の命を軽んじる政策ではありませんか、と投げかける前文を掲げ、「一連の戦争政策について」問う。「具体的に進む戦争準備」について、司令として考えをお聞きしたい、とした。
この後、岐阜の仲間にリレーし昼食をとった後、愛知から自転車1名と街宣車が同行し、最初の訪問地、空自岐阜基地に向けて出発していった。 (7月29日 阪野 記)
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