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2024ピースサイクル

 

2024年10月1日火曜日

『航平は日本人であり、中国人でもあります』

『航平は日本人であり、中国人でもあります』

航平は昆虫や爬虫類が大好きで、どんな小さな生き物にも目がない、独特な視覚を持つ子供でした。
誰よりも優しい心の持ち主です。 幼い頃から絵を描くのが好きで、日本語と中国語の両方に堪能な語学の才能もありました。 彼は私と一緒に深圳に行くことをためらっていました。 食べ物にうるさい彼は、最初は現地の食事にはなじめなかったが、最近はだいぶ好きな食べ物が多くになり、始めたばかりのバスケットボールにも夢中になっています。

航平が突然私たちの元を去ったことには、私はまったく心の準備ができていない今、心は混乱と果てしない悲しみでいっぱいです。 彼がどのように成長し、大人になっていくのか、もう見ることができません。
彼を守れなかったことは、一生釈然のできない後悔になるでしょう。
航平は日本人であり、中国人でもあります。 母親は10年近く日本で暮らした中国人であり、父親は人生の半分近くを中国で過ごした日本人です。 航平自身も、3歳までの人生のほとんどを中国の家で過ごしました。 何が報道されようと、彼が日本人と中国人の両方のルーツを持つという事実は変わらない。
私たちは中国を憎んでいるわけではないし、同様に日本を憎んでいるわけでもない。 国籍に関係なく私たちはどちらの国も自分の国だと思っています。 習慣や文化の違いはあっても、私たちはみな同じ人間であることを誰よりもよく知っています。 したがって、歪んだ考えを持つごく少数の卑劣な人間の犯罪によって、両国の関係が損なわれることを私は望みません。 私の唯一の願いは、このような悲劇が繰り返されないことです。
航平は以前、私にこう言いました。『将来は父のようになりたい 』と。単なる気まぐれだったのかもしれませんが、父親として、その言葉は私を大いに慰めました。 私は日中貿易に携わり、日本と中国の架け橋となっています。
私の主な仕事は、両者の間にある認識の違いを埋め、円滑なコミュニケーションを図ることです。もしこのような不幸な事件が起こらなければ、彼はきっと私よりも役に立つ人間になっていたことでしょう。 しかし今、私にできることは、彼が誇れる人間になること、そして最愛の息子への償いとして、また犯人への復讐として、日中間の相互理解に微力ながら貢献し続けることだけです。
そして何より、航平に感謝の気持ちを伝えたい。 私たちを両親にしてくれたこと、そして私たちのそばで10年8カ月と7日間を過ごしてくれたことに感謝します。 私たちはこれからも、航平の分まで強く生き、航平のやり残した道を歩み続けます。

小山純平

2024年8月12日月曜日

ピースサイクル2024愛知の取り組みの報告(№1)

気候変動・地球温暖化が影響!

猛暑下の実走の危険を回避、新たな取り組みとして  「自治体平和の取り組み通信簿」を実施

 【726() 陸自豊川駐屯地に申し入れ

 39年目のピースサイクル2024愛知の取り組みは726日、岡崎実行委員会の担当で、豊橋で浜松の仲間と合流し、陸自豊川駐屯地での申し入れを行った。今年は岡崎チームが実走を取りやめたので、岡崎・浜松合同での基地への申し入れだけとなった。

 その一方で岡崎実行委員会は、実走は取りやめたが、新たな取り組みとして「自治体平和の取り組み通信簿」というのを発案、実施した。具体的には各自治体が行っている平和に関するさまざまな取り組みを項目ごとに点数化し、最終的には一覧表にして公表するもので、とりあえず三河の「18市町村」に対して訪問また郵送で、8月末を締め切りとし、現在集約中。

 また岡崎担当の、当初27日に計画されていた安城市から豊田市までの新たな実走コースも中止となったが、安城市からは石川市議が日進の交流会に初めて参加した。

 

727日 日進市で、ピースサイクル愛知の交流会

27日も猛烈な暑さ。午前、午後とも実走取りやめの最終決定は前日のことだった。そこで地元の日進と岡崎、安城、豊田、名古屋からはそれぞれ車で総勢23人が参加、賑やかな交流会だけとなった。

しかしこの炎天下を24歳の若者が半田から、48歳の中年男性が、名古屋の千種区から自転車でやってきた。(当然帰宅も自転車)

 用意された昼食をとってから、日進市民の会丹羽代表から"歓迎します"と平和運動、ピースサイクルの意義などのあいさつを受け、各地区からの活動報告、参加者の自己紹介があって、それぞれ平和の想い、原発問題などについて、そして議員からは自治体の状況などが話された。話の一部を紹介すると、

・岡崎市からの参加者からは、浜松と合同で豊川の自衛隊への申し入れ行動と、「自治体平和の取り組み通信簿」の取り組みが報告されました。

・豊田市からの参加者からは、「PC六ケ所行動」について、ここ数年、青森・六ケ所行動での青森県、六ケ所村、日本原燃への要請書の作成を担当しているが、やはり現場を見ておく必要があるとして現地を訪ねたことの報告がありました。そして、青森県も六ケ所村も、日本原燃に経済的に依存すること大で、それは愛知におけるトヨタ自動車との相互関係と同じであり、危険な存在ではあるとしても、日本原燃に「出て行け!」とはとても言えない、という雰囲気を感じたということが話されました。

・名古屋市からの参加者からは、イスラエルのガザ攻撃に抗議する行動に多くの若者が参加している。その若者にとって気候変動・地球温暖化の影響を受ける世代として関心も高く、多くの若者が参加しているという名古屋の状況が報告されました。

・また昨年の11月に開催されたピースサイクル全国会議についても報告され、11月の全国会議で「全国ネット」の解消を提案するが各地区はそのまま平和運動として続ければいい、ということも話題になっていました。

・日進市からの参加者からは、日進市における「道の駅」に関する住民投票を求める署名活動に参加した議員に対して、議会与党(自公)の側から、「政治倫理審査会」にかけよとの請求が出された。活動は憲法が保障する言論・表現の自由に基づくものであり、「違反」を問われる筋合いのものではないと反論、その経過報告がなされました。

・日進市の市議会議員の方からは、女性議員を増やす努力している。日進市の女性議員比率50%は全国3位。また長久手市長に県下初の女性首長佐藤友美氏が誕生し、続いて碧南市でも女性首長小池友妃子氏が誕生した。全国的に見れば愛知の状況はまだまだだが、今回831日に全国フェミニスト議員連盟のサマーセミナー2024「ジェンダー平等社会は私たちが創る!」を愛知で開催するとの紹介、案内がなされました。

・会計報告がなされ拍手で承認されましたが、中日新聞・日進通信部の記者が取材に来ていました。

初めて参加という人もいたので、この運動は、1986年に大阪の仲間が始めたこと、愛知は1989年から参加したことを簡単に紹介。そして全国の運動の一部として取り組まれた623日の「沖縄慰霊の日」からスタートした「沖縄ピースサイクル」、さらに例年5月の取り組みが10月に変更された「国会ピースサイクル」、8月から9月の取り組みに変更となった「青森・六ケ所行動」を紹介するとともに、東海のエリアである浜岡原発への申し入れ行動は、神奈川の仲間と浜松の仲間で行われたことなどが報告されました。

  そしてこの運動は「反戦・反核・平和・人権」が基本テーマであるが、昨今の猛暑という気候変動・地球温暖化、それは自然災害だけでなく、世界的な食糧問題、水問題として現出、それがまた紛争の原因になる、核兵器の廃絶と共に、地球の環境問題は、平和運動の重要なテーマではないかと指摘。

また、自転車リレーがなくても平和運動はエンドレス。「ピースサイクル」の「サイクル」は自転車で、という意味であるが「永続的な平和のサイクル」という意味でもある。取り組みの形は変わっても、継続していくことが大切だ。

なお日進市立図書館では、「にっしん平和のつどい2024」が723日から

84日まで開催されている。


 


ピースサイクル2024愛知の取り組みの報告(№)

728日炎天下、名古屋市役所から小牧基地まで実走!

28日 ピースサイクル2024愛知の最終日は、愛知県と名古屋市、小牧基地への申し入れとなっているが、県庁、市役所とも閉庁日なので、事前に申し入れ書は郵送済みであったが面会はできなかった。

そこで市役所前で参加者の写真を撮った後、隊列を編成し、「無理しない、安全第一」を確認して午前10時、自転車隊5人、街宣車に3人で出発、既に気温は35度には達していたと思われる。街宣車でマイクを持っての宣伝(ウグイス)は、緑の党東海の尾形代表。

まず国道41号に出て北上、黒川で右折し県道102号を東進、20分後に第1回の休憩、水分補給。矢田川、庄内川を渡って15分後くらいに2回目の休憩をとった。

この先に休憩がとれるコンビニ、木陰のある公園らしきものはない。しかもこの県道は交通量が多い割には、片側一車線で、歩道も整備されていないので、距離は短い(10㎞余)が要注意のコース。

街宣車の運転手さんは、後続の一般車に車線を開けるための場所探しに気を遣っていた。

一行は名古屋市から春日井市に入り、1115分頃小牧基地ゲート横に到着。すでに岐阜の仲間8人が待機していた。空自小牧基地司令への申し入れに先立ち全員で写真を撮ったが、やはり高齢化は否めない。それでもこうして猛暑の中で参加することができているそれ自体は"元気の証"でもある。

1130分過ぎ、基地のゲート前で申し入れ文書を松井名古屋代表が読み上げて手交したが、炎天下での対応ではなく、せめて面会室での対応はできないものか、といつも感じるのであるが。

 今年は、小牧から岐阜への実走が中止となった。このあと岐阜のメンバーと街宣車は、空自岐阜基地(各務原市)と、翌29日に滋賀県までの岐阜県の自治体への申し入れに車で向かう。愛知から岐阜へのリレーはここで終えて、愛知は解散となった。自転車で参加した一部は、そのまま自転車で帰路に就くが、それ自体が心配の種である。

 来年以降の課題を残しつつ、今年も反戦・反核・平和の旗のもと「やれることはやって」事故もなく無事にピースサイクル2024・愛知を終えた。

                          〈阪野智夫記〉




 

 

2024年8月2日金曜日

7月26日、陸自豊川駐屯地への申し入れ行動

7月26日、ピースサイクル愛知とピースサイクル浜松は、

陸自豊川駐屯地へ申し入れ行動を行いました。

               申し入れ書

陸上自衛隊豊川駐屯地指令様


 私たちは、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を歴史的教訓とし、戦争と核のない世界を願って、全国各地から平和を訴え、その願いを自転車で伝える手作りの市民運動ピースサイクルです。

 1986年夏、大阪の郵便局に働く8人の青年が、反核・平和を訴え自転車で広島まで走りました。それに共感して運動はまたたくまに全国に広がり、この愛知でも有志が集まりネットワークができました。以来運動は続き、昨年まで全国を結び自転車で走り続けてきました。

 しかし、年々この時期の暑さは厳しさを増し、異常な猛暑が続くようになりました。これまで水分補給や体調維持に気を配りながら運動を続けてきましたが、これ以上続けることは危険と判断し、この時期の自転車での走行は止めることにしました。

 ロシアがウクライナに侵攻して2年以上が経ち泥沼の様相を見せています。そして、昨年10月からは、パレスチナガザ地区で、イスラエルの徹底した弾圧と虐殺が続いています。いっぽうアジアでは、北朝鮮がミサイル技術を高め、中国は海洋支配を強化しています。

 世界中で軍事的緊張が高まる中、日本では自衛隊予算を大幅に増額し、これまでの専守防衛から敵基地攻撃能力の獲得へ踏み出しています。軍事国家と軍拡競争をしても勝ち目はありません。逆に日本が築いてきた平和国家としての国際的信頼が失われるリスクのほうがはるかに大きいです。

 国内に目を向けると、今年の元旦に能登で大きな地震がありました。自衛隊の皆さんがすぐさま現地入りし救援活動を続けられていることに心から敬意を表します。気候変動により、集中豪雨の危険性も高まるばかりです。組織力と機動力を持った自衛隊は、災害時において非常にありがたい存在です。

 憲法9条のもと、貴職が専守防衛に徹するとともに、災害時に必要となる装備を充実させ、災害救助活動に力を入れるよう申し入れます。

                   2024年7月26日

                   ピースサイクル愛知ネットワーク

                   


 

2024年7月28日日曜日

2024沖縄ピースサイクル報告(№1)

終戦79年目の夏に思う

「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒のための慰霊碑で本島南部の糸満市にあります。米軍の攻撃により多くの死者が出た伊原第三外科壕のそばに建てられています。今では沖縄戦でのひめゆり学徒隊の体験を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」も併設され、平和を考えるランドマークともなっています。傍には、「しらゆり学徒散華の跡」「平和の塔(喜屋武岬)」さらに、戦後野ざらしになっていた遺骨を集め納め建立された「魂魄の塔」などがあり、この地が激戦地であった名残です。このような歴史をよそに今は、本島も含め、南西諸島の基地強化・ミサイル配備を強行し79年前の戦争の悪夢を彷彿とさせてる状況の中で、私たち沖縄ピースサイクルは、623日~26日までの4日間で沖縄ピースサイクルを開催しました。

623日(1日目の行動)国際反戦集会に参加

23日(1日目)慰霊の日の行動は、魂魄の塔で開催された国際反戦集会に、那覇から糸満市にある魂魄の塔まで自転車で走り参加しました。途中、平和の塔(喜屋武岬)や海沿いにあるひめゆり学徒散華の跡などに立ち寄るなどしながらこの集会に参加しました。集会では、浦添勝連分屯地ミサイル配備反対の仲間からのアピール、辺野古基地建設に反対する仲間からの訴え。韓国市民運動家らの発言、パレスチナ人ジェノサイトに反対するスダンディングアクションからのアピールが行われ、集会最後に実行委員から「沖縄県民の心は79年間ずっと土砂降りです。こんな思いを二度としないよう共に頑張りましょう。」とのあいつで集会は終了しました。

 


写真1枚目は沖縄を走るピースサイクル自転車隊
写真2.3枚目は魂魄の塔にて

2024沖縄ピースサイクル報告(№2)

624日(2日目)国道58号線を走り浦添ようどれの見学~勝連地区見学~学習会開催~塩川・あわ埋め立て土砂搬送現場を見学~辺野古埋め立て工事反対闘争に参加

24日(2日目)は、ホテルを8時に出発し、国道58号線を走り浦添ようどれの見学、浦添ようどれは浦添城跡の北側岩壁の中腹にあります。岩壁を掘り削って作られた沖縄を代表する琉球王朝の墓石のひとつです。この一帯は、去る沖縄戦での激戦地で、ようどれも大きな被害をこうむり、戦後墓室の石組みと「ようどれの碑文」は復元されたとのこと、沖縄の歴史に触れることができました。その後、車移動に替えて、浦添市のミサイル配備が予定される勝連地区を見学。金井さんを講師にお願いし現地での学習会を開催しました。その後、塩川・あわ埋め立て土砂搬送阻止の現場を見学、そしてこの日最後に、辺野古埋め立て工事反対闘争に参加。名護教会に宿泊しました。 



写真1枚目は浦添市のミサイル配備が予定される勝連地区
写真2.3枚目は辺野古

2024沖縄ピースサイクル報告(№3)

625日(3日目)伊江島基地を見学~ヌチドゥタカラの家を訪問~読谷村交流会

25日(3日目)は、伊江島へ移動し島内の基地を見学、この伊江島では終戦後農地を強制的に取り上げられ、返還運動を闘った歴史を持ち198412月に開設された「反戦平和資料館 ヌチドゥタカラの家」を訪問阿波根昌鴻さんの遺志を継ぐ謝花さんと交流、マスコミに乗らない事実などその闘いの歴史を学びました。宿泊は例年お世話になっている読谷村にある民宿「ヌーガヤ」に泊まり楽しく交流しました。

 

626日(4日目)チビチリガマ見学~嘉手納基地~那覇空港から帰路へ

 26日(4日目)最後の日は、民宿から自転車で10分の所にあるチビチリガマを知花さんの案内で見学、ガマの入り口に立つ石碑には、犠牲となった83名の方々の氏名が刻まれ知花さんの親類も含まれているとのことでした。約1時間チビチリガマで132名が集団自決した状況を伺い知花さんとは別れ、嘉手納基地見学へ向かった。「チビチリ」とは「尻切れ」という意味でガマに流れ込む小川がどこに流れていくか分からないことから呼ばれたということでした。

嘉手納基地に到着。基地では、タッチ&ゴーの訓練が行われ戦闘機の轟音が響き渡っていました。しばし訓練と併設されている資料館を見学し午後からは那覇空港に向けて走り、17時ころ那覇空港に到着。その日のうちに帰宅しました。

 

194592日に東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で日本政府による降伏文書への調印が行われ第二次世界大戦が終結したとされています。終結からもうすぐ79回目の敗戦記念日を迎えます。この事実を体験した世代はすでに国民の14%を切っており、悲惨な戦争の継承は難しくなってきているといわれています。体験者は、当時の被爆や空襲、兵士との逃走などの被害体験や、中国、南西アジアでの加害体験を、語り部やデジタル映像にかえて「再び戦火を交えてはいけない」とその思いの継承に努めています。本当にありがたい。

623日を慰霊の日とし県内各所で戦火の犠牲になった方々を慰霊する沖縄。そして国は815日を記念日とし反戦平和への思いを新たに誓います。

平和とは、安心して生活できること。 平和とは、一人一人が輝いていること、 平和とは、みんなが幸せを感じること。 そして平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。 そのために、私たち一人一人の行動が大事なのです。平和という大切なバトンをつなぐために。 

          




報告 ピースサイクル神奈川 佐藤修作

写真1.2枚目は伊江島にて

写真3枚目はチビチリガマにて

 

 

2024年6月22日土曜日

【報告】2024神奈川ミニピースサイクル

 神奈川ピースサイクルは、5月21日から24日までの本ピースに続き、6月17日一日行動で「反戦平和、核兵器廃絶、差別をなくそう。自然を守ろう」とミニピースサイクルを実施しました。

 しかし、その思いは届かず、ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争が今も続き、テレビでは破壊された街、犠牲者の姿が配信され、悲惨な現実を伝えています。この現実を目の当たりにしてもなお「こんな時こそ必要なのは、平和のペダルを漕ぐちから!」「軍拡より外交で」と声を上げるのは私達だけではない。

6月17日、ピースサイクル参加者は、本厚木駅南口に8時に集合。厚木市役所→伊勢原市役所→秦野市役所→大井町役場→松田町役場→開成町役場→南足柄市役所→大雄山駅にて終了

7市町村を訪問、平和のメッセージを頂きました。当日の天候は梅雨の走りなのか曇ってはいたものの湿度が高く熱中症の条件が揃っていたものの、参加者は熱中症になることもなく、本厚木駅から大雄山駅までの、坂道の多いコース44キロを街宣カー1台と自転車隊8名で事故もなく完走。多くの県民にアピールすることが出来ました。さらに大きな平和の輪に向けて共に一歩ずつ前進していきましょう。

                    報告 神奈川ピース佐藤

写真1-国道246号を伊勢原市に向かって

写真2-秦野市庁舎前「平和の灯」の前にて

写真3-金太郎の里・南足柄市大雄山駅にて




2024年6月14日金曜日

【5月30日島根ピースサイクル報告№1】

2024島根ピースサイクル5/3062

 島根原発2号機の再稼働が今年12月に迫ってくる中で、「再稼働するな」との訴えをしながら、530日と31日、原発30km圏内の6自治体(雲南市、出雲市、境港市、米子市、安来市、松江市)と島根県、中国電力島根支社へ要請申し入れを行いました

6/16/2は、松江市から10kmの島根原発へ、宍道湖湖畔を走り、「故郷は原発を許さない」の歌に合わせて「能登半島の地震で原発の危険性がよくわかりましたね、再稼働をとめましょう」と、通行の人に訴えました。

2024島根ピースサイクル 530日~62日のコース

530日(木)

07:00 広島駅発

09:00 木次インター出口

10:00 雲南市役所申し入れ

13:00 出雲市役所申し入れ

16:00 境港市役所申し入れ

米子交流会(米子市泊)

531日(金)移動は自転車

09:00 米子市役所申し入れ

11:00 安来市役所申し入れ

14:00 松江市役所申し入れ

15:00 中電島根支社申し入れ

16:00 島根県庁申し入れ

松江交流会(松江市宿泊)

61日(土)移動は自転車

10:00 出発

14:00 島根原発へ

(松江市宿泊)

62日(日)

09:00 松江市発

 自転車で宍道湖北岸をサイクリング

12:00 出雲市平田町で終了、解散


【申し入れ行動】要請団体

島根ピースサイクル:(呼びかけ団体)

ピースサイクル広島

脱原発へ!中電株主行動の会

島根原発再稼働止めよう広島連絡会


【要請先自治体】

島根県知事 丸山達也 様

島根原発30km圏内:雲南市、出雲市、境港市、米子市、安来市、

松江市   自治体首長 様

【要請先】中国電力島根支社長 天野様


【申し入れに対する対応】

———自治体への申し入れーーー

 返答は、すべて同じようなことで、「原子力規制委員会が合格をして安全性が担保されているので、改めて再稼働の容認の変更することはない」との回答でした。

 書面での回答をもらうように申し入れをした際に確認をしてきました。面談の時間は30分程度で、参加者が意見を言って終えました。

———島根県の回答————

 事前に要請書を送っていたので、次のような文書回答をしてきた。再稼働については、容認を撤回しない、原子力規制委が活断層の長さ連動を妥当としているので今対応をする必要はない。ヘリコプター、船舶など利用で実施するので避難には支障がないとの見解を示し、再稼働を見直す考えはないとしています。

 中間貯蔵施設は上関町のことだから島根県はとやかく言えない。としています。

———中国電力———

会議室を準備しておくとしたので、何らかの意見を言って申し入れできるのかと思っていたら、机など並べていない部屋で、申入書を渡しただけに終わりました。本社にあげて共有するとのことでした。報告する記録のために写真を取りますとばちばち顔写真を撮っていました。


 






【5月30日島根ピースサイクル報告№2】

530日(木)広島駅出発~雲南市~出雲市~境湊市~米子交流会

【写真1】  雲南市:10時から

対応:防災部:防災部長、安全対策課原子力防災対策室対策官、他1

【写真2】  出雲市:13時から

対応:防災安全部長、他3名

【写真3】  境港市:16時から

対応:総務部防災監、他1




【5月31日島根ピースサイクル報告№3】

531日(金)米子市~安来市~松江市~中電島根支社~島根県庁~松江交流会

【写真1】米子市:9時から

対応:防災安全課長、他1名、立会い:土光均市議

【写真2】安来市:11時から

対応:防災課原子力防災主幹、他1

【写真3】松江市役所に向けて走る

【写真4】松江市:14時から

対応:防災部次長、他2名





【5月31日島根ピースサイクル報告№4中国電力島根支社】

中国電力島根支社:15時から

対応:島根原子力本部地域共生部長、

要請書の提出のみで終わった。

 写真1は中電松江支社申し入れ 写真2は中電支社から県庁へ向かうピース隊

【要請書】

中国電力島根支社長  天野  浩一 様               

 

島根原発再稼働及び中間貯蔵施設建設計画に

関する要請申入れ

 

 貴社は、2024年12月に島根原子力発電所2号機の再稼働を延期することを発表されました。

本年11日に発生した能登半島大地震では、能登半島北部に断続する活断層が約150km以上にわたって連動し、志賀原発から9km離れた地点で震度7、加速度2828ガルを、志賀原発では震度5強を観測しました。同原発は、運転停止中にもかかわらず、2系統の外部電源を喪失するなど、多くの箇所で損壊を起すという重大な事態となり、地震の影響を無視できない状況になっています。

このことを北陸電力は想定できていなかったことから、活断層による地震動に対する過小評価が指摘され、全国の原発での徹底した再検証が必要となっています。

さらに、この地震によって、家屋が倒壊し、道路が寸断され、モニタリングポストをはじめとする通信は遮断されたことから、原発事故時の屋内退避、避難、空間放射線量の計測、避難指示は不可能となることが明らかとなりました。

島根原発に近接する宍道断層では、政府の地震調査研究推進本部の今年1月15日の公表によると、今後30年以内にM7以上の地震が発生する確率が高いとされているため、島根原発で地震が発生し同様の事態となることは十分に考えられます。

島根原発は2kmの近い位置に、地震発生の確率が高い活断層が存在する危機的状況にあります。島根・鳥取両県は国の指針に従った避難計画を策定していますが、地震災害による原発事故という複合災害発生時においては避難計画が機能しないことは明白です。

2月26日、山陰放送は次のことを報道しています。「島根県の丸山知事が26日、島根半島の沿岸部を視察しました。能登半島と地形的に共通点のある島根半島、課題は道路が寸断された場合の住民避難です。能登半島地震では土砂崩れや路面陥没で道路が寸断され、復興の足かせになったばかりでなく、北陸電力志賀原発周辺でも孤立集落が発生し、原発事故が起きていたら避難出来なかった可能性があるのではと指摘されています。(丸山知事と担当者)『日御碕と宇龍で600人くらいの住民がいる。大型ヘリが降りるとなれば、まず救助部隊を運ぶこと、そして空路で避難させないといけない住民を避難させること』。26日の視察は、能登半島地震で交通路の寸断が問題になったことから、空路や海路での支援の可能性について改めて確認しようと急きょ行われました。」

この日の丸山島根県知事の発言は、能登半島地震で明らかになった原発事故と地震災害の複合災害発生時において、避難路が寸断され避難できなくなることを認め、避難計画を再検討すべきであることを表明したといえます。この度の能登半島地震の被害の詳細がわかってくる中で、島根原発2号機を動かすには問題があります。

報道によると、中国電力は原発の稼働経験を有する職員が、他の原発にくらべて極端に少ないとされています。未経験者が大半を占める中で、さらに長期間の停止による部品の劣化などのさまざまな不具合が発生することも想定されることから、再稼働は危険極まりないといえます。

原発事故は、いつ起こるかもしれません。避難の実行性も確立できず避難対策など困難です。改めて原発事故の対応などはできなく、住民や国民の安全をまもるために、再稼働への再考を求めます。

 さらに、中国電力は昨年8月には島根原発の使用済み核燃料を、関西電力と協力して上関町に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建設することを発表しました。島根原発の使用済み核燃料の貯蔵プールはまだ十分な余裕があります。運び出す必要はありません。関西電力所有分を引き受けることはもってのほかです。六ヶ所再処理工場は26回の工事延期が続いていて、これからもうまく運転ができるような望みはありません。核燃料サイクル構想は破綻しているのです。これ以上、使用済み核燃料を生み出さないことです。

これらの事項を踏まえ、以下の要請事項をします。

要請事項                      1、   島根原発2号機の再稼働をしないこと。

2、   使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくらないこと。

3、   島根原発全ての運転をしないで、廃炉にすること。



【5月31日島根ピースサイクル報告№5島根県庁】

島根県庁申し入れ行動:16時から

対応:防災部原子力安全次長、小村原子力安全対策課長、他4

【申し入れ書】(各自治体共通の要請書です〉

島根県知事 丸山達也 様

島根原発再稼働及び中間貯蔵施設建設計画に関する要請申入れ

  日ごろより県民、住民の安全・安心な暮らしのために尽力されていることに敬意を表します。

貴自治体は、2022年に島根原子力発電所2号機の再稼働について、容認をされました。

しかし、その後、本年11日に発生した能登半島大地震では、能登半島北部に断続する活断層が約150km以上にわたって連動し、志賀原発から9km離れた地点で震度7、加速度2828ガルを、志賀原発では震度5強を観測しました。同原発は、運転停止中にもかかわらず、2系統の外部電源を喪失するなど、多くの箇所で損壊を起すという重大な事態となり、地震の影響を無視できない状況になりました。

このことを北陸電力は想定できていなかったことから、活断層による地震動に対する過小評価が指摘され、全国の原発での徹底した再検証が必要となっています。

さらに、この地震によって、家屋が倒壊し、道路が寸断され、モニタリングポストをはじめとする通信は遮断されたことから、原発事故時の屋内退避、避難、空間放射線量の計測、避難指示は不可能となることが明らかとなりました。

島根原発に近接する宍道断層では、政府の地震調査研究推進本部の今年1月15日の公表によると、今後30年以内にM7以上の地震が発生する確率が高いとされているため、島根原発で地震が発生し同様の事態となることは十分に考えられます。

島根原発は2kmの近い位置に、地震発生の確率が高い活断層が存在する危機的状況にあります。島根・鳥取両県は国の指針に従った避難計画を策定していますが、地震災害による原発事故という複合災害発生時においては避難計画が機能しないことは明白です。

2月26日、山陰放送は次のことを報道しています。「島根県の丸山知事が26日、島根半島の沿岸部を視察しました。能登半島と地形的に共通点のある島根半島、課題は道路が寸断された場合の住民避難です。能登半島地震では土砂崩れや路面陥没で道路が寸断され、復興の足かせになったばかりでなく、北陸電力志賀原発周辺でも孤立集落が発生し、原発事故が起きていたら避難出来なかった可能性があるのではと指摘されています。(丸山知事と担当者)『日御碕と宇龍で600人くらいの住民がいる。大型ヘリが降りるとなれば、まず救助部隊を運ぶこと、そして空路で避難させないといけない住民を避難させること』。26日の視察は、能登半島地震で交通路の寸断が問題になったことから、空路や海路での支援の可能性について改めて確認しようと急きょ行われました。」

この日の丸山島根県知事の発言は、能登半島地震で明らかになった原発事故と地震災害の複合災害発生時において、避難路が寸断され避難できなくなることを認め、避難計画を再検討すべきであることを表明したといえます。この度の能登半島地震の被害の詳細がわかってくる中で、島根原発2号機を動かすには問題があります。

報道によると、中国電力は原発の稼働経験を有する職員が、他の原発にくらべて極端に少ないとされています。未経験者が大半を占める中で、さらに長期間の停止による部品の劣化などのさまざまな不具合が発生することも想定されることから、再稼働は危険極まりないといえます。

原発事故は、いつ起こるかもしれません。避難の実行性も確立できず避難対策など困難です。改めて原発事故の対応などできなく、各自治体には住民や国民の安全をまもるために、再稼働を容認したことへの再考を求めます。

 さらに、中国電力は、昨年8月には島根原発の使用済み核燃料を関西電力と協力して、上関に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建設することを発表しました。島根原発の使用済み核燃料の貯蔵プールはまだ十分な余裕があります。運び出す必要はありません。関西電力所有分を引き受けることはもってのほかです。六ヶ所再処理工場は26回の工事延期が続いていて、これからもうまく運転ができるような望みはありません。核燃料サイクル構想は破綻しているのです。これ以上使用済み核燃料を生み出さないことです。

これらの事項を踏まえ、以下の要請事項をします。貴自治体においては、島根原発2号機再稼働同意の撤回を表明し、中国電力にも伝えてください

要請事項

1、    島根原発2号機の再稼働をしないこと。

2、    使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくらないこと。

3、    島根原発の全てを運転しないで、廃炉にすること。



 

【6月1日島根ピースサイクル報告№6】

61日(土)島根県庁(松江市)出発~島根原発へ

島根県庁から出発【写真1】

県道37号を走り松江市鹿島町の島根原発【写真2】

島根原発3号機(左側)と安全対策工事(右側斜面)【写真3】

クレーンで工事をしている箇所には、緊急時対策所や免震重要棟の設置工事をしているようだ、この工事が何か公表していない(中電は公表していない)

島根原子力PR館前【写真4】





【6月2日島根ピースサイクル報告№7】

(62日(日)松江市出発~宍道湖北側湖畔走行~出雲市平田町解散

6月2日(日曜日)松江市から宍道湖北側湖畔をサイクル情宣

松江市から宍道湖の湖畔の国道431号線を出雲に向けて走るーーーー

一畑電鉄(バタ電)松江温泉駅から出発【写真1】

宍道湖湖畔を走る(サイクリングロードになっている)【写真2】

出雲市平田町で今回の行程終了【写真3】